『チャイルドとの出会い』


ヒプノセラピー・インナーチャイルドを受講して、幼い私に会いに行きました。
3月末で私は、20年働いた仕事を辞めました。常にストレスを抱えていたので、何か問題が起こるたびに「辞めたい」思っていました。仕事を辞めたら、ストレスもなくなり、楽しい生活を送れると信じていました。
確かに仕事のストレスからは解放されました。でも、今度はこれからの生活に不安を感じるようになりました。仕事を探していても、自分が何をしたいのか分からないし、新しい世界に飛び込むことが怖くなりました。
仕事をしているときは、「辞めたら、自分の好きなことが出来る」とワクワクしていたのに。
安定していた収入も無くなり、不安が大きくなっていきました。
以前、仕事のストレスから、普通に過ごしているのに涙が止まらない状態になったことがありました。そんな時に、山田先生から勧められてNLPを受講しました。自分を振り返る事ができ、前を向いていこうと思えました。
大きくなっていく不安を感じるたびに、その時の学びを思い出していこうと努力しました。元気になれるような本も読みました。一時的には元気になるのですが、ふとしたときにまた不安になるのです。
山田先生から「知識を学ぶだけではなかなか変われない。体験して脳の変化を起こし落とし込んでいくことが大切」と教えて頂きました。
前を向いていくために、ヒプノセラピー・インナーチャイルドのセミナーを受講しようと思いました。表面だけ変わったつもりになってはいてはいけないと思ったのです。
セミナーを受講して、幼い自分と向き合うことで、気づいていなかった自分を知ることが出来ました。それが、今までの自分の抱えていた問題の原因だったのです。
小さい頃の私の写真は、いつも泣き顔でした。幼い私は、再会した時、写真と同じように今にも泣き出しそうでした。私は「大丈夫。自分の思いを伝えても良いんだよ。よい子にならなくてもいい。怒られないし、嫌われないよ」と言いました。幼い私は、黙って頷いていました。
その時に分かったのです。「こんなことを言ったら嫌われるんじゃないか。怒られるかもしれない」と思っていた自分がいたのです。よい子に見られたくて、「あなたは優しい子だから」と言われ、そんな自分でいないといけないと思っていたんだと。
過去にあった嫌な出来事を引きずっているのは、「起こった出来事」が原因ではなく、その時に自分が言いたいことを言えなかったからだと気づきました。
結局、原因が他のことにあると思っていたのです。
過去にあった出来事は変えられなくても、受け止め方が変わればイメージが変わる。嫌な出来事はではなく、自分の成長のために必要な事だったと思えるようになりました。
幼い私は、大好きな父と母と手をつないで笑顔で帰って行きました。それは小さな頃の私の願いでした。
私は、また幼い私に会いに行こうと思います。そして、自分と向き合っていこうと思いました。
このような機会に巡り会えたことに本当に感謝しています。ありがとうございました。

2019.1.23(水)「命の誕生」


無意識の世界を知ることからはじまったこと
かけがえのない日々を送っているという幸せなお便りが届きました。
ヒューマンアカデミー4校にお世話になりNLP、TA、ヒプノ講座を担当した7年の歳月には様々な出会いとドラマがありました。
 
 ヒプノセラピー講座の時、受講生さんの一人の女性の方が
「子供を産まない結婚生活をしている」と話された言葉が私の心の中に深く残りました。
 
3日間の講座の中で退行療法のデモセッションをさせて頂きましたら「子供を産みたくない」と思う原因はお母さんのお腹の中にいる時の胎教にあったのです。
 
出来事自体は消えませんが、イメージを変える事や、誕生後の楽しかった記憶を蘇らせる事はヒプノセラピーの素晴らしさです。
 
沢山の幸せな思い出を思い起こし、産まれて来てよかったと思えること。愛情に注がれて今が在る事を感じる体験をしていただきました。
 
講座終了後に気持ちが変わり、「授かるものなら赤ちゃんを授かりたいね」とご主人と話しました。とメールを頂きとても嬉しく思っていました。
 
それから妊娠、出産の報告に誕生のお写真も頂いて感動しておりました。
 
今度は1歳の成長と「かけがえのない日々」というお便りの言葉に感動しました。
 
 ヒプノセラピー体験の参考になりましたらと思い、ご本人の了解を得て記載させて頂いています。
 

参加者Y.K様(JBCHヒプノ講座を受講して)


無意識の世界を知ることからはじまったこと
これまでの私の物へのとらえ方は「無意識の世界」とは、ボーとしてレベルの低い世界、無意識でやっていたあらゆることへは誰かの咎めのような声が聴こえてきそうで、情けない世界だと思っていた。意識して頑張り続けることが自分にこの世で課せられていることだと思っていた。言葉で「ムイシキ」世界を理解していたとも言える。 
 
私は、自分の意志を尊重しながら、ずっと生きて来たと思っていた。自分の意志を頑固に主張しこだわるのが私の姿だった。母にお世話になったのは、結婚と病気治療へのきっかけぐらいだった(もちろん随分感謝している)。

「心」ってなければいいのに・・・。煩わしいとも思っていた。悲しんだり、悩んだりを切り捨てて生きていきたいとなんとなく思っていた。そんな話題は迷惑とも思えた。
私は、何だか事務所の中で子育てしていたようだった。家にも出勤簿がある感じを持ち続けていた。
みんなの中でなんとなく楽しく過ごせない私、学校ではやりがいをもって元気よく過ごせているのに、ふっとこの子たちからはどう思われているのか考えるとものすごく不安だった。話題が続かないからか。


無意識が行動をコントロールする/想像力はすべてを現実化する/自己暗示ですべてが変わる
私たちには、無意識と意識の2つの自己があり、それぞれ知性があり・・・無意識の知性は記憶力が良く信じやすく素直、で脳を介入することなく体に訴える。器官が実際に良くなったり感じられたりする。また想像力は意志に勝つ。


無意識世界はすごい世界であった。私はこれまで、無意識の知性に気づいていなかった。ただ、想像力「イマジネーション」とは夫がよく使う言葉だなと思い出した。振り返ると以前は自然に良い考えが湧いてきたのに、息子がパニック症になってからは、職場でがんばろう、やらなければいけないと思うほどドキドキ感がでてきて何も考えられなくなった。


悲しいと思ってはいけない、私が頑張らなくてはと思っても、気持ちに何処かで蓋をしようとすると、どこかで倍増して出てきてしまうことに気づいた。感情を捨てた私にも、これこそ無意識の世界がきちんと覚えていてくれた。私の自身のなさは、私の無意識をこれまで受け入れられなかったことにもあるかもしれないと思えてきた。そう考えると、私はいつも仕事や(意識した知性をつくる)勉強に逃げていたけど、いろいろな時々、解決はなくても、自分から話し合ったり触れ合ったりしていれば、悲しさや怒りからも何かを気づけていたのかもしれないと思う。少なくとも私の心を人に伝えていくことはできたし、周りの人や亡くなった義母にとっても気持ちを通わし、安心できる人間味のある人、嫁になれたのではないかと思う。


実は、無意識の世界は、自分の心の中のものであったということがわかった。しかも、無意識の世界は本来の私を見せてくれた。これでいいよ、いいんだよと。
若い頃「大丈夫、大丈夫」って自己暗示をかけて何でもやっていた気がする。結婚して主人に頼り、決断を人任せにして、自分と会話するのを逃げていた。自分ではどうすることもできないと固く信じていたのだ。意志は確かに想像力には勝てなかった。これで上手く行くはずと信じていた頃は良かったけれど、不信感から徐々に心が落ち込んでいったことを思い出した。それからは何となく自分の思いで動き出していろいろなことが起こった。「人間の無意識(の自己暗示)が多くの病の源であるなら、心身の病を治癒させるのも無意識です」


「物事に、たくましく意思決定できる、成長した私がいるぞ!」
これは、先日の学習会で先生とつくった私の自己暗示文だ。その時は実感がわかなかったが、思い出しては繰り返すうちに、「私がいるぞ」が「私になるぞ」では、想像の世界に入れないし、「たくましく」は自由にのびのび考えるために私には必要だと思う。「意思決定」は物事を決断実行せず、先送りしたい私にはピッタリの文だ。朝だけでなく車を運転するときや気づくと一区切りごとに思い出して何度も唱えている。行動が素早くなった気がして、いろんなことが無理なく気負いなくこなせるようになった。

 
連休中、息子や娘に接するとき、かなり有効な気がして、自分ってこんなに人のためにやれて、疲れないんだとびっくりした。確かに私の中の無意識の部分に働きかけていると思う。特に、次の言葉は名言だと納得した。
①意識と想像がぶつかるときは、想像が常に意志に勝つ。
②意志と想像がぶつかるときは想像力の力は意志の2乗に値する。
③意志と想像が一致するときは意思は負けるどころか想像によって倍化される。
心の中の「どうしよう、どうしよう」が消えた気がした。すばらしい治療だと思った。息子にもこれがいいと思った。
今後、この勉強を続けると新しい世界や大きな気付きが湧いてくる気がしてならない。
まだ準備がはじまったばかりだ。粘り強く続けて行こうと思う。